覚醒と微睡の狭間はいつも手持無沙汰で、脚を無駄にブラブラさせてみたりする。

僕の脚。

僕の顔、僕の腕、僕の爪、僕の乳房、僕の骨。ライター、煙草、ベッド、床、壁、そもそもの、空間。手でベタベタと触っても、奥行きを試すように手を伸ばしても、まるで曖昧模糊な霧のように、のっぺりとした絵画のように、存在の確信は簡単に崩れ去る。いつもの事だ。慣れないと生きていけない類の、つまらない類の認識と感覚の歪みだ。慣れるのはいつになるのか。

慣れるのはいつになるのか、と思うと漠然と不安になる。

この歪みに歪んだ認識と感覚を持ったまま、通常の枠の中で生きるようになれるのだろうか。ライターを握る。ライターはこの手の中に存在する。それだけの事もはっきりと分からない癖に、真っ当に生きられるのか。

はやく治らないといけないと逸る感情は、どうしようもなく説明が出来ないからだ。他者に説明の出来ない、医者とカウンセラーと私という輪の中で完結させる必要のある僕の人生を、どう上手く換言すれば、どうパラフレーズすればよいのか。どのように他者を混乱に招き入れず緩やかにすり抜けていけばよいのか。正直、他者の理解は求めていない。ただ、理解を求めなければならない事態になってしまう可能性が怖いだけだ。

記憶のない諸々の行為の痕跡が怖かった。

講義の最中外に出た時の、記憶の茫漠さが恐ろしかった。当日の夕刻の時点で、午前中の出来事をまるで一年前に見た高熱時の悪夢のようにしか思い出せない事が恐ろしかった。駄目だ、全然上手く書けない。

講義室の反響が不味い。でも授業には出たい。授業に出るのをやめてしまったら、ダメになる気がする。迷惑を誰にもかけたくない。露呈するのは嫌だ。また手が誰のものか分からなくなる。このキーボードを打っている手が誰の手なのか分からない。私の手以外の何物でもない筈なのに、全く実感がわかない。嘘にしか感じない。知覚の全部が遠い。他人の知覚をなぞってるみたいに、他人の視覚した映像を見せられているみたいに遠い。あほらしい。ライターを強く噛む。