ここ最近、睡眠は大事だな、と思って生きている。

薬の種類を変えてもらって一つ増やしてもらって眠れるようになった。悪夢にうなされて飛び起きるという事もなくなり、夢もあまり見なくなった。中途覚醒も多くて3回程度に抑えられている。頗る、頗る快適だ。麗しい睡眠。これでこそ甘やかで健全な現実逃避が成立するというものだ。二粒のちいちゃなちいちゃな錠剤が、「ねえ、現実逃避しようよ」と甘ったるい声で囁く。目を閉じれば、ヨーグルトみたいに緩くて柔らかな眠りが訪い、僕から現実世界を引き剥がす。夢の国よりも素敵なシャーベット・カラーのもう一つの世界は、ここにある世界よりも断然生々しくエロティックだ。眠りに絡み付かれキスをされ手を引かれ、そして裸にされた僕は眠りに落ちる。僕はその瞬間、誰よりも絶対的に生きている。

グッド・バイ、現実の欠けた現実世界。

乾ききって崩壊していく世界なんて、大嫌いだ。

 

とはいえ僕は日中この世界にいるので、色々な事をクールに考えたり行ったりしている。考えるのだ、行動するのだ、理不尽に勝つために。運命には勇気を。情念には理性を。猫にはカリカリを。私は負けない。負けそうになっても、例え爪が剥げたって、最期の瞬間まで僕は崖にしがみついてやる。

厄災は自らの中に取り込もうと、或いは自らから目を背けさせようと誘惑する。しかし、厄災に準備もなく突っ込んでも、厄災が消え去る筈もない。それから目を背けて生きても、厄災は消え去らない。それならば厄災の誘いに抗い、ただ茫然と立てばいい。今ここに。静かに、理性的に、淡々と、そして何より勇気をもって、ただ起こった事として、或いはただ起こっている事として、厄災を前にして、ただ立ち尽くす事。ただ、呆然とここに立ち竦むという事。立ち竦む僕が、今ここで立ち竦み続けているという事。暴風に乗って飛んでくるゴミを、僕が立てる程度の広さを確保するために日々片付ける事。ゴミに当たって怪我をしたら、それをなるべく早く治す事だけを考える事。それが自暴自棄にならないという事であるならば、僕は確かに自暴自棄になっていない。それが冷静に自分を見つめるという事ならば、僕は確かにそれが出来ている。なんか雰囲気かっこいい事を書いたけれど、正直そっちに突っ込む力もキャパシティもないというのが実情で、それの存在を感じながらひっきりなしに飛んでくるゴミを立つ場所確保のために片付けるだけで、ゴミが当たって怪我をした箇所の手当てだけで精一杯なのだ。でも、調子を崩した原因が厄災に飲み込まれてしまったという事ならば、そして数か月前の僕がそれから背を向けようとしていたのならば、それを見つめながらそれから少しずつ距離を取れているという事自体が良いニュースだろう。その厄災が消え去るのにとても長い時間がかかるというのならば、それに絶望せず、飲み込まれず、その間よりよく生きていける方法を模索すればいい。それが僕なりのあの子への贖罪であり、僕なりの戦い方であり、そして何より僕にとっての、私にとっての圧倒的な希望なのだ。

と、こういう風に負けない気持ちになるためには睡眠が肝要である。何度でも言う。寝ないと人間は駄目になるのだ。何でかって言うと、ポジティブが全部奪われるからだ。一個前に描いた僕のブログ記事を見たら分かるけど、ポジティブの欠片もない。出来る範囲でいいから人類は全員眠れ。理不尽な厄災と見つめ合う力を保ち続けるために、僕たちは目を瞑ってそれを一旦忘れる必要があるのだ。ちゃんと寝る人間は格好いい。ちゃんと寝る人間はクール・オブ・クールだ。眠りを手にすれば私は無敵で、途端に倒せないラスボスになれる。というわけで、眠れてる今を維持する事だけを考えて暫く生きます。