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そもそもブログにある程度以上の量の文章を書けているという事自体が僕の気力がある程度復活しているか或いは精神と肉体がはち切れそうな時点から逃れられた証左なのであって、一番辛くて辛さを何らかの形で消し去らないと次の瞬間には暴力に呑まれてしまいそうな時点ではまとまった量の文章を書く事すら出来ない、そういう或る種の歯がゆさがあって、どうしようもないけれど、今日も私は無事にサヴァイヴしている。それを祝福する事から始めよう。誰も鳴らしてくれないなら、僕が僕のためだけにベルを鳴らそう。
私は生きていて、君も僕も私も生きている。世界は優雅に揺蕩って均衡を保っている。底の部分で掻き回されながら、見た目は飽くまでもゆるやかな凪だ。そんな柔らかい凪にぽちゃんと一人飛び込んだところで、何が起きる訳でもないだろうと考えるのは浅はかで、そこから波が立ち始めるかもしれない。そしてその結果、何かが損なわれるかもしれない。
結局僕がサヴァイヴ出来たのは、その可能性を与えられているからだ。
そういう呪いや禍根の可能性を残して死にたくない。様子のおかしい人間をそっとしておくという日常的な振る舞いを呪いに変えたくない。私は呪いを一方的に押し付けていなくなりたくない。いや、正確には呪いを押し付けたくない種類の人間には、呪いを押し付けたくない。それ以外の人間は知らない。どうでもいい。今の僕には「万人に」とは決して言えない。とにかく呪いを押し付けたくない人間には、呪いを押し付けたくない。生き残る理由なんて僕にとってはこんな自分勝手なトートロジーめいたものだけで十分だ。でもきっとそれは正しい事であり、正義だ。そんな些細な正義のために人間は戦えるのだ、と疲労でボー然とした脳みそで考えている。疲れた。